空色徒然草

by いおいお

猫的商売

 先週、猫関連の記事を投稿したのがちょうど猫の日(2月22日)だったのだけれど、これははっきりいってまったくの偶然だった。だいたい、2月22日が「猫の日」といわれていること自体、最近まで知らなかったのだ。

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 このところ、新しい「○○の日」を目にするたびに「今度はどの方面の策略陰謀であろうか」と詮索する癖がついてしまっていけない。バレンタインとかクリスマス同様、「猫の日」ももしかしたら猫関連ビジネスの戦略的何かなのかもしれないけれど、まあ、だからといってどうという話でもない。こちとら明らかに悪魔教っぽいものが絡んでいそうなハロウィンや、「キスの日」「告白の日」といった淫乱な欲望にまみれたイベントに比べれば断然可愛いものである。
 犬派か猫派かでいえば猫派なのだが、猫を飼った経験もないし、大して猫に詳しいわけでもない。なんだか自由に生きてそうな雰囲気が好きなだけなのである。自由に生きてそうな雰囲気が好きだからといって、「猫のように自由に生きたい」というような強い願望があるわけでもない。まあ要するに、特にこれといった理由はないけれど猫が好きなのだ。(もしかすると若い頃に読んだ漱石先生の影響かもしれない。)
 いつだったか、学校の授業で「自分を動物にたとえると?」という問いを与えられたことがあった。就職活動のエントリーシートでもしそういう問いが用意されていたらどう答えますか、みたいなシチュエーションだったと思うけれど、よく考えもせず、好きな動物でも書いておけばいいかという気持ちで「猫」と記入したら、「猫って、自由気ままに生きてるイメージですよね、これだと人事の人に「私は集団行動が苦手です」とアピールしているようなものですよ、こういうときは従順で忠実なイメージの強い「犬」とか答えておくものです」みたいな感じで批判されて、学校教育というものに深く失望した。そんなつまらない就活攻略テクを学ぶためにこの学校に来た覚えはない。(実際のところ、およそ学校というところは社会人という名の労働者製造工場でしかないのだ、という事実を知ったのは、それからずっと後になってからだった。)
 犬が従順さを売りにしているとするなら、猫は自分自身の存在価値を売りにしているといっていいのではないか(あくまで相対的に、だけれど)。何をどう売るかなんて人それぞれでいいのだ、なんて思うけれど、こういう考え方がすでに非犬的なのかもしれない。しかしどうしろというのだ。