空色徒然草

by いおいお

伏線回収人生

 保坂和志の『書きあぐねている人のための小説入門』を久しぶりに再読した。
 まるで僕が小説家を目指している人であるかのように思われるかもしれないけれど(たしかに小説家/文筆家という生き方への憧れはないではないけれど)、単純に、この人の小説論は読んでいてなるほどと思う部分が多いから、もう一度読みたいなと思っただけなのだ。
 保坂氏の小説観は、僕に言わせれば、ジャズっぽい。まあ、氏自身、文中で「自分の小説観はモード・ジャズに近い」なんて言っちゃってるくらいだから、かなり自覚してはいるのだろうけれど、もし彼がこの本のなかで「ジャズ」という言葉を一度も使わなかったとしても、「ああ、この人の小説観はジャズっぽいな」と僕には思えたに違いない。もっとも、「ジャズっぽい」と思ったのは僕がジャズをやっているからで、クラシックの音楽家がもしこれを読んだら「この人の小説観はクラシック音楽と通ずるものがあるな」と感じるかもしれない。なんにせよ、「小説にも音楽と通ずるところがあるんだ」と気付かせてくれたのがこの本であった。
 まあ、言葉を連ねることと音を連ねることとは紙一重の行為だし、韻文(和歌や俳句の類い、または欧米・中国の韻律をもった詩)なんて半分音楽だろうという感じはしていたけれど、ここに小説という概念を加えればもっと言葉や音楽についていろんな考察ができるのでは、と独りでわくわくしている次第である。別に考察したところで日本語がもっと豊かになるわけでもなんでもない。僕が独りで喜ぶだけである。(言葉や音は、コミュニケーションや自己表現の手段であると同時に、独りの行為でもある、とは、最近思い付いた僕の持論である。)
 あと、この本のわりと序盤で出てくる「日常が芸術(小説)を説明するのではなく、芸術(小説)が日常を照らす。」という一文も、一回目に読んだ時から頭の隅のほうにずっとこびり付いていて、僕の芸術観に今後じわじわと影響を与えてくれそうな予感がする。
 本書についてもう一話題。本文中にW. ベンヤミンの「物語作者」という小論が何度か引用されているのだけれど、もしかして、と思って自室の書棚を漁ったらちゃんと翻訳書(『ベンヤミン・コレクション2』(ちくま学芸文庫)所収)を持っていて、自分でもびっくりした。僕が持っているベンヤミンの著作はこれ一冊である。たしか大学一年の頃に学系入門のリレー講義か何かで来週までに読んで来いと言われて、(当時は講義にちゃんと付いていこうという意識が高かったから)すぐに生協で買って指定の箇所を読んだのだけれど(その時読んだのは同じ巻に収録されているフランツ・カフカに関する別の小論だった)、カフカなんてそもそも『変身』以外全然知らないし、翻訳の文章自体も「名詞→名詞」「動詞→動詞」式の哲学書みたいな訳し方ですごく読みにくいしで、結局全然話がわからないまま講義を受けるはめになってしまい、それ以来完全にお蔵入りになってしまっていたのが、数年の後、突然日の目を見たのである。伏線回収の鮮やかさにも程がある。(僕と同じようにたまたまベンヤミンの著作が家にある!という方は、是非『書きあぐねている〜』と併せて読むのをおすすめします。『書きあぐねている〜』の内容がより深く理解できて良いのではないかと思います。)

書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)

書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)