空色徒然草

by いおいお

金原瑞人週間〜2冊目〜

 近頃日本の若い読者層の間では異世界ファンタジーなるジャンルが大いに流行っているみたいだけれど、僕にとってこの小説は、ほとんど「異世界」の物語に思えた。異世界というか、かつて触れたことのない異文化だった。カルチャーショックというのだろうか、あまりにも登場人物たちのキャラや背景設定が飲み込めないので、読み始めてしばらくは狐につままれたような心持ちだったほどだ。もっとも、一冊読み終える頃にはその空気感にも慣れ、作者が描きたかったものも何となくわかったような気がするのだが、世の中にはまだまだ自分の知らない世界があるものだと久しぶりに思わされた。1962年秋、イギリスの寂れた田舎町キーリーベイでボビー・バーンズという少年に起こるさまざまな出来事を綴った物語ーーと説明してしまえば何のことはないのだが、1960年代のイギリスの寂れた田舎町という時点で、2010年代の京都の郊外に住む僕にとっては異世界そのものだった。魔法使いやエルフや勇者が闊歩する空想上の世界とはまた違って、少し古いとはいえ、現実の世界の話なのだ、驚いたことに。
 登場人物たちは皆純粋で、魅力的だ。この純粋さが、かえって現実離れしているように思えるのかもしれない。「あいよ」という奇妙な口癖のせいで(たぶん方言の一部なのだろうけれど)いまいちキャラのつかみにくい主人公も、物語が進むにつれてはっきりと、周囲の人々に対する思いや自分の意思を形にしていく。それと、妙に信心深い。妙に、というのは、僕の知っていることや信じていることと若干のずれがあるので、彼の知識や信念の全部を是として受け取ることはできないけれど、という距離感が故である。以前『ジェーン・エア』やトマス・ハーディの何かの作品を読んだ時にも似たような感覚を覚えた。イギリスのキリスト教事情はあまり詳しくないのでこれ以上突っ込んだことは言えないが、とはいえ、信心深いことには、同じキリスト教徒として好感が持てるし、共感できる。実際、この小説においてなにげに大きな役割を果たしているのは「祈り」なのだ。「祈り」が全てを解決する、という解決法は、実のところ読んでいてすごく安心する。(こう思うのはキリスト教徒だけかもしれないけれど。)この小説に「神」という言葉はほとんど出てこないし、主人公自身、イエスがなぜ十字架にかかったのかということすらもよく理解していない。それでも彼は祈るのである。そして、その祈りが聞かれたことを確信するのである。
 
『火を喰う者たち』(デイヴィッド・アーモンド/金原瑞人訳)読了。

 

火を喰う者たち

火を喰う者たち