空色徒然草

by いおいお

愛の理想声帯

「体のために生きる、部屋のために掃除をする、世界のために、きみに恋する。」(『愛の縫い目はここ』「アンチ・アンチバレンタインデー」より)

 最果タヒの詩は、若い女性の東京語話者が読むのが最適だと勝手に思っているのだけれど、やっぱり自分でも声に出して読んでみたくて、我慢できなくて読んでみるのだけれど、やっぱり違う、これは男の詩じゃない、やっぱやめときゃよかった、ってちょっと残念な気分になる。山口百恵の『プレイバックPart2』を平成の若い男性アーティストが歌ってもちっとも格好良くないのと同じで、アニメ『ポプテピピック』のポプ子とピピ美を女性声優が演じてもいまいちしっくりこないことが多いのと同じで、最果タヒは僕の声で読まれるべきじゃない。
 どうしてもと言うなら、自分にも聞こえないくらい小さな声で読む。最果タヒに限らず、詩を音読する方法としてはこれが結局、僕にとって最適解に近い。口の中で子音をなぞり、そこに脳内の理想声帯で声を乗せる。
 最果タヒは東京の女の詩と言ったけれど、作者自身は関西の出身なのでたまに西のアクセントが混じっていることがあって、そういうのを見つけると不意に親近感を覚える。もっとも、最果タヒが歌っているのは世界と愛なのであって(ものすごく勝手かつ大雑把な解釈だけれど)、東京を歌っているわけでも日本を歌っているわけでもないのだ(もちろんそういうのがないとは言い切れないけれど)。
 それに、西のアクセントが混じっていると言ったって、僕の脳内の理想声帯がそう発音したにすぎない。だいたい僕の想像する東京語がどこまで正しいかもわからない。随分勝手な読み方である。しかしどれほど勝手な読み方であろうとも、もうその文字列が全部、僕にとって価値ある存在なのだ。僕は最果タヒを勝手に愛している。

 

愛の縫い目はここ

愛の縫い目はここ