空色徒然草

by いおいお

『わたしを離さないで』

 映画の方を先に観たので、多少は予備知識があったわけだけれど、それでも実に読みごたえのある良い小説だった。序盤は特に時系列を 把握するのに頭をつかうけれど、それで話がわかりにくくなるというほどではなく、独特の雰囲気のある小説だなという印象を強めているにすぎない。結末を知っていたから、序盤は特に読み進めるのが辛くも感じたのだが(これは結末を知っている人にはわかっていただけるかもしれない)、何が何でも読みきってしまわなければならないという個人的な事情があって我慢して読んでいたら、途中から文章とストーリーの力にぐいぐい引き込まれて、あっという間に(それでも二、三時間はかかったけれど)読み終えてしまった。
 カズオ・イシグロの著作を全部読んだわけではないから全体評のようにいうことはできないけれど、この人の書く会話や心理描写はあまりうるさくなくて(必要最低限という感じがして)読みやすい。会話や心理描写に限らず、全体として詳細にこだわりすぎず大雑把になりすぎずというバランスに優れていて、ストーリーとストーリーの間の風景描写などをあまり長々こまごまとやられるとつい面倒くさくなって目が滑ってしまいがちな私も特段負担を感じずに読むことができて好印象であった。
 さてここまで肝心の内容には一切触れていないわけだけれど、これはなんというかこの小説の特質で、読み進めていくうちに物語の舞台や設定が徐々に解明されていくのがこの小説の面白いところでもあるから、ちょっと迂闊に内容をばらせないのである。もちろん作者に口止めされているわけではないのだが(実際に著者本人から「『ネタバラシOK』のお墨付きを」もらっている、と「訳者あとがき」に記されているほどである)、「解説」の柴田元幸氏も「この小説は、ごく控えめに言ってもものすごく変わった小説であり、作品世界を成り立たせている要素一つひとつを、読者が自分で発見すべき」といっているように、単純に「ラブストーリーです」とか「子どもが大人に成長する話です」というふうに割り切って紹介するのがはばかられる類いのものなのである。その意味で、ディズニー映画のように誰もが納得する感動ストーリーの類いとは少し違うし、すっきりとした読後感とか泣けるとかそういう効果もまったく保証できないのだけれど、読んで後悔はしない、とだけは断言しておきたい。
  
『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ土屋政雄訳)読了。

 

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)