SNS世代の読解力

 先週、文字で気持ちを伝える話を投稿したちょうどその日に、読売新聞の一面で「読解力が危ない」などというコラム記事の連載が始まって、あまりにタイムリーだったので思わず興奮して切り抜いたりしてしまった。(新聞記事を切り抜いたのなんて、いったい何年ぶりだろうか。)

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 たくさん日本語に触れてたくさんアウトプットするようにすれば自然と日本語力(語彙力)は着いていく、みたいな話を先々々週もしたわけだけれど、そもそも文章を読解する能力が下がっているのでは、という点についてはまったくの盲点であった。
 といっても、いつの誰と比べて「下がって」いるのかはこの記事文だけでは判然としない。OECDの学力調査の順位が下がったからといって「日本の子供たちの読解力が下がっている」と結論付けるのは、ちと論理が跳んでいる気がする。そもそも日本人の日本語読解力とシンガポール人の英語読解力とをどうやって公平に比べられるのか、個人的には疑問である。しかし順位はともあれ、第1回に載っている問題例のように、昨今の中学生は「A=BであるならばB=A」というような単純な情報すら読み取れないという話がもし本当なら、確かにやばい(子供の読解力養成を大人がもう少し気にかけた方がいいのかもしれない)。
 日本人は全員、頭が良くなければならない、とは思わない(「読解力がある=頭が良い」という図式もかなり短絡だけれど)。幸福な人生に必要不可欠なもの は「愛」と「希望」(およびそれを支える「信仰」)であるという前提(僕の持論ですけど)に立つならば、読解力の有無など大した問題ではない。しかしそんな極論はさておき、少しでも多く収入を得たいとか楽に仕事をしたいとか短時間で目的地に着きたいとか人間関係を穏やかに済ませたいという目先の欲求をいち早くかなえてくれるのは、広い意味での「読解力」であるに違いない。
 ところで、記事内でも取り上げられているように、いまの大人たちが相手にしようとしているのはいわゆる「SNS世代」である。若いうちはできるだけ子供をSNSから遠ざけて新聞や本を読ませようという論もあるけれど、単に子供からインターネットを取り上げるというやり方は、たぶんそんなに実効性はないし、長続きもしない。SNS世代にはSNS世代の「世界の見方」がある、という前提で、彼らに一番「効く」ような教育策を模索するという方向性もアリではないか、と心の隅で思ったりも、する。