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夏目漱石との思い出

 『吾輩は猫である』を久しぶりに再読しながら、大学受験時代を思い出していた。
 高校三年生になってからはさすがに少しは受験生らしい生活をしなければと思って、ピアノを弾く時間を削ったり中学時代から熱心に継続していた『ラジオ英会話』を聴くのをやめたりと自分なりにいろいろ自重していたのだけれど、正月あたりだったか、「たまには良いよね、ちょっとだけなら」とつけたラジオから流れてきたのが『吾輩は猫である』の朗読だった。

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 冒頭からではなく第二章の正月のシーンからだったけれど、すでに二回ほど通読していたのもあって結構細かいところまで覚えていて、「あー、あったあったこんなセリフ」などと思いながら楽しく聴いていた。『我輩』は基本的にユーモア小説なので猫が何か言ったり登場人物が何かしでかしたりするたびに読んでる(聴いてる)こっちはニヤニヤが止まらない。全部聴き通したいのはやまやまだったけれど、なにせセンター試験の一週間前である、五分の四くらいまで聴いて、泣く泣くラジオを消した。
 漱石に関する思い出で一番古いのは小学校の頃である。三年生か四年生の時、教科書の定められた箇所を音読して親に聞かせ、聞いてもらったしるしにサインをもらうという国語の宿題があった。これが相当辛かった。毎日毎日同じ章を読み聞かせるのだから、読むほうも面倒くさいし聞くほうも飽きてくる。そこで我が家ではある日から(一応音読の宿題をこなしているという体で)好きな本を読んでいいということになって、数ある名作名著の中から選ばれたのが『坊っちゃん』だった。初めて読んだ漱石が(たぶん)これである。自分で選んだのだろうけれど、なぜそのタイミングでそれを読もうと思ったのかも覚えていない。「マドンナ」という言葉の意味さえよくわかっていないような頃の自分に『坊っちゃん』のストーリーの面白さなど理解できていたとは思えないから、ほとんど漢文素読のような状態であったと思われるが、とにかく小学校の中学年にして夏目漱石を体験したのであった。
 それが功を奏したのかどうかはわからないけれど、中学高校大学と進むにつれて読む本のジャンルも作者も変化していった中で、漱石好きだけは今に至るまで変わらない。自覚している範囲で、中学高校時代における自分の文体形成に最も影響を与えたのは漱石だった。今から思えば(思い出したくもないけれど)、中学一年生くらいの時に書いた「中学に入って思うこと」みたいなテーマの作文で冒頭から「中学にもなれば生徒も教師も個性的で……」とやったあのやり方は「親譲りの無鉄砲で……」の影響を多分に受けていたに違いない。高校の時も……いや、これ以上書くとさすがにただの黒歴史の陳列でしかないからやめておこう。漱石が好きだ。終わり。