空色徒然草

by いおいお

人生の背景色

 ヘッドホンを外すと、窓の外に雨の音が聞こえた。
 いつから降っていたのだろう、ちっとも気が付かなかった。
 ヘッドホンの内側の音世界というものは、外側の音世界に対してどうもいささか閉鎖的で、無関心すぎるところがある。(もちろんそれがヘッドホンの目的というか本来の性能の一部ではあるのだけれど。)逆に、一旦ヘッドホンを外してしまうと、今度は外の音世界がこれみよがしに耳を支配して、さっきまで内側で何が聞こえていたかなんてすっかり忘れさせてしまう。内側世界と外側世界をいっぺんに両方聴くというのは、(当たり前だけど)不可能なのである。僕が、僕の人生とあの人の人生を両方生きるのが不可能なのと同じ。
 雨はそれほど強くなく、これならようやく満開に近づいた桜があえなく全部散ってしまう心配もないし、鶯の声もかすかに聞こえている。優しい雨というのは、詩的には素敵な素材だけれど、妙に感情を刺激する成分があって、嫌いじゃないけど、好きじゃない。優しい雨は、切ない。切ない感情って、歌に乗せれば舌に甘いけれど、耳で聞いていると胸にしみる。そうして胸を侵食し始めると、今度は溜息ばかり出る。歌にもならぬ、溜息。窓の外の小雨の景色は、溜息の灰色に似ている。
 人生に背景色を付けるなら、小雨じゃなくて虹がいい。
 まあ、虹にも虹の切なさというか、桜の儚さに似たものがあって、結局のところ目に見えるもの耳に聞こえるものにはことごとく無常がつきまとうのだけれど、虹に希望や喜びを見出すのはノアの方舟の時代から許されていることだし、単純に嬉しい、わくわくする、そういう感情に虹色を指定しておいても構わないだろう。
 現実の虹は、現実の紅葉や現実の夕陽と同じで、温かいようで冷たい。ヘッドホンの外の世界は、内側と違って自分の手で再生したりストップしたり繰り返したり音量を変えたりできないから、優しさも辛辣さも容赦がない。去年の暮に東山五条で見たあの虹も、嬉しくて、切なかった。もしも一人で見ていたのだったら、切なさのほうは半減したかもしれなかった。でも、そういう条件指定を事前に施せるほど自然は甘くない。甘くないし、辛辣だし、冷たいけれど、強くて、優しくて、温かい外の世界。人生は楽しい。

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