思い出すことなど

 月は輝き、紫陽花は咲いた。次は、何を待とうかしら。
 待つということも素敵だけれど、過ぎ去ったことを思い出すという行為も、人生というストーリー(インスタ的な)にきらきらしたエフェクトを加える重要な要素だな、ということをなんとなく考えていたことを思い出した。
 懐かしい人々を思い出すと、人生の美しさに心がしびれる。ほんの数年前にあった人々で、いまもどこか、そう遠くない場所で彼らの人生を生きている、そういう人々のことを思うと、そういう人々に会ったという出来事の思い出そのものを愛したくなる。……まあ、もちろん、全員というわけではないけれど。出会いに別れはつきものというけれど、「出会った」という事実に終わりは無い。「出会った人々」は永遠に「出会った人々」なのだ。新しい出会いがどんどん蓄積されていった結果、僕の人生にはどんどん新しい色が付加されてゆき、超絶複雑で深遠で幻想的な色合いを醸し出す。なんと繊細かつ壮大に僕の人生は設計されていることだろう!
 壮大かつ繊細というと、チャイコフスキーの楽曲をふと思い出した。たぶんクラシック通の方に言わせればチャイコフスキーどころでなくもっと繊細で壮大な作曲家なんていくらでもいるのだろうけれど、僕の個人的な経験で言うと彼の音楽がもっとも鮮烈な印象をもって記憶にこびり付いている。クラシックの、しかも管弦楽の作曲家なんてだいたいみんなすごいけれど、よくもまあ、あんなにダイナミックで扇情的でかつ緻密で几帳面な音楽を白い五線紙に一音一音書き込んだりできるものだ、と『イタリア奇想曲』か何かで自分のパートを吹きながら思ったものである。(『くるみ割り人形』だったかな。)アイデアや(作曲の)テクニックももちろん素晴らしいけれど、まずその忍耐力がすごい。
 自分の思い描いている音楽が形に(音に)なるのが待ち遠しくて、譜面を書くのも苦ではない、という気持ちもわかりますけどね。しかし、何百小節もの楽譜を全部書いてその通り演奏する、なんてことが僕の今後の生涯において一回でもあるかどうか。そういうことを仕事にしている人には、ほんと、尊敬の念を禁じ得ません。
 何の話だっけ。

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