空色徒然草

by いおいお

BUSHIDO!

 新渡戸稲造の名著『武士道』の序文に次のようなくだりがある。

「あなたのお国の学校には宗教教育はない、とおっしゃるのですか」と、この尊敬すべき教授(ベルギーの法学大家故ド・ラヴレー氏)が質問した。「ありません」と私が答えるや否や、彼は打ち驚いて突然歩を停め、「宗教なし! どうして道徳教育を授けるのですか」と、繰り返し言ったその声を私は容易に忘れえない。*1

 この質問に即答できず困惑した新渡戸氏は、自らの体験をよくよく振り返り、ついに、日本人の道徳観念の根源は武士道に帰するのだという結論を得て、欧米の読者に向けて『武士道』("BUSHIDO, THE SOUL OF JAPAN," 1899)を著したらしい。
 実は本書を読むのはこれが初めてではない(ある頁に自分の手書きで約6年前の日付が残っている)のだけれど、こういうくだりがあったということなんてもうほとんど忘れていた。だから、つい最近こういうツイートをしたのも、何も悪気があって、さも自分で思い付いたかのように書いたわけではないのである。

 どこかで読んだことが知らぬ間に自らの思考枠組みに刷り込まれている、なんてことはよくあることである。しかし、実のところ『武士道』を再読し始めたのも、「最近硬い本読んでないから頭が弱ってきた感があるな」「あ、この本なら薄いからすぐ読めそう」というとても緩い動機によってたまたま手に取ったに過ぎなかったから、こういう偶然的邂逅には少し感動してしまって、当初はちょっと目を通すくらいにしておこうと思っていたのが心機一転、一字一句真面目に読み返している次第である。
 矢内原氏の翻訳もなかなか骨があり、一字一句読み通すのも根気がいるのだが、それでも頑張って読んでいるとなかなかまともなことも書いてあり、いまの日本人にとっても十分参考にする価値はあるのではないかと思えてくる。そもそも博学の人だから、いちいち引っ張ってくる例証に深みと説得力があるし、キリスト教信者でもあるから、その辺の立場のバランスも取れていて自分のようなキリスト教徒にも読みやすい。というかむしろ、聖書をある程度知っている外国人の気持ちになって読んだほうが、読みやすいし面白い(個人的には)。
 聖書の引用なんかは少々難しいにしても、その他のところは出典がわりとはっきりしているし、ある程度の読解力を持つ日本人なら一応誰でも読んで理解できるだろうから、全国の中学高校は悉皆この『武士道』を読み通すことを一大目標として国語力と歴史(世界史および日本史)の知識を生徒に付けさせれば、ある程度頭のできた国民が育成できるのではなかろうかと思わないでもない。あまりこういう風に一つの書物を全国民に持たせるというのは宗教っぽくてアレではないかという論もあるかもしれないけれど、むしろ、この情報社会にあって日本人という民族を国力増強のために再統合せんと欲するなら、こういう経典めいた書物の一つや二つ用意して国民意識の統一を図るという発想も悪くはなかろう。(まあ、この辺は勢いで喋っているだけなので、筆者がガチのナショナリストだというわけではない。)『武士道』一つだと道徳観念その他に偏りが生ずるというのなら、『源氏物語』と谷川俊太郎あたりでバランスを取ればいい。(何のバランスか知らないが。)あくまで、武士道そのものを覚え込み身に染み込ませることが目的なのではなく、『武士道』が読めるくらいの読解力と歴史の知識を付けることが目的なのだから。

 

武士道 (岩波文庫 青118-1)

武士道 (岩波文庫 青118-1)

 

*1:矢内原忠雄訳『武士道』(2010)、岩波書店、11頁、括弧内筆者補足