空色徒然草

ジャズ・ピアニスト大同巌のブログ

「痴漢は犯罪」とかいう前に

 痴漢行為は大抵の場合guiltyだけれど、中には「痴漢されても動じない」「むしろ痴漢をされて喜ぶ(いわゆるOK娘などと呼ばれる)」タイプの女性が存在する(つまり痴漢が悪でない場合もある)、などということが一部の痴漢ならびに痴漢予備軍によって妄想されているらしく、ということはもはや「相手がどう感じるかに関わらず、自分の妻や娘以外の女性の身体をむやみに触るのは悪」くらいの観念を子供の頃からしっかりと植え付けない限りは、痴漢の根絶など不可能に近い。
 みたいなことを、「痴漢は犯罪/一瞬の過ちが/一生を左右する」という電車の吊り広告を見ながら思った。この手の「暴力・痴漢は犯罪です」というポスターは最近至る所で見かけるけれど、個人的にどうも気に食わない。暴力痴漢は犯罪ではない、などと言いたいのではない。「(法的に)犯罪だからやめろ」とまで言われなければ暴力痴漢行為を踏みとどまれないということ自体がやばい(その人(ポスターを見ている人)自身の内部に暴力痴漢を抑止するだけの力が無いという点において、日本人の道徳観倫理観の弱体化が危ぶまれる)のではないか、という気がするのである。ーーまた倫理観の話をしている、と訝られるかもしれない。便宜的に「倫理」という言葉を使っているけれど、もっと正確には「恥の意識」みたいなものかもしれないし、倫理観の基となる「信仰」かもしれない。なんなら「天知地知我知子知、何謂無知」みたいな古代の諺を今の自分自身のこととして受け取れるだけの知性と教養とかかもしれない。何にせよ、悪に対する内的抑止力がこうも信頼されていない社会のあり方というものが、ただ悲しい。
 悪に対する抑止力だけの問題では無いかもしれない。セクハラが弾劾されるのは、された側が嫌な思いをしているからだけれど、そもそも「セクハラおやじってダサい」みたいな視点は無いのか。ダサくない大人になりたいとは思わないのか。ついでに言うなら、「子どもは純粋だけれど大人は黒い」みたいな言説をなぜ当然のように受け入れたがるのか。大人になったら汚れて当然、と言われることになぜ違和感を抱かないのか。
 ーーまあ、つまり、善い人間であろうとする意欲、のようなものがもっとあってもいいのではないかと思うのです。子ども以上に、大人が。難しいのかもしれませんけれど。
 
※痴漢される側を女性に限定するような書き方をしていますが、これは文章をこれ以上ごちゃごちゃさせない為の配慮であり、男性が被害を受けるタイプのものを否定・軽視する意図はありません。

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