空色徒然草

by いおいお

YouTuberと故郷

 先日、電脳少女シロというYouTuberのゲーム実況プレイ動画をニコニコ動画で観ていたのだが(公式アカウント「電脳少女シロ」の投稿動画である)、PUGB(世界中のプレイヤーがオンラインで集まって銃を撃ちあい、最後に生き残ったものが勝者としてカツ丼(ドン勝)を喰えるという最近流行りのアクションゲーム)をプレイしながらシロが「いまの人、足がコンパスみたいだった」と何気なく言ったのに対し、「ヤンおばさんwwwwww」というコメントが画面にどっと流れてきたのを見て、中学国語教育の効用がこんなところに現れているのかと不意に感心した。
 魯迅の『故郷』は中学三年生の教科書に収録されているので、「ヤンおばさんwwwwww」と草を生やしているのはそれ以上の年代の視聴者ということになる。実際何歳くらいの視聴者が「ヤンおばさん」コメントをし、それを見て「ああヤンおばさんね」と懐かしがっているのかはわからないが、「ヤンおばさん」であれだけ盛り上がれるということはそこそこ広い視聴者層で『故郷』を読んだ経験が共有されているということであろう。
 アンパンマンドラえもんの経験が日本国民の間で広く共有されている(ゆえにだいたいどの世代性別社会地位にもこの二者の話題は通じる)ということにも似ているかもしれないが、中学の時に読んだ小説で話題を共有できるというのは少し興味深い。中学生ともなると読む本もばらばらになるし、だいたい本なんか熱心に読んでいる中学生からして少ない。『故郷』が日本の中学生の間で超人気で(さながら『ハリーポッター』のごとく)、図書館には何冊も蔵書があり、学校ではその話題で持ち切り、絵の上手い子は足がコンパスみたいなキャラクターを描きまくり、想像力の豊かな子は『故郷』の二次創作で脚本を書き文化祭で披露する、みたいなことならわからないでもないが、はっきり言ってこの小説は読んでいてそんなに面白いものでもないし、なんか暗いし、話もよくわからない。中学生に大ウケするようなものではさらにない。期末テストが終わったらもうおさらばである。でも全員が、ひとり残らず全員がそれを読んでいて、なんとなくでも中身を覚えているのである。そして中学を卒業して何年か経ったのち、YouTuberのゲーム実況動画をぼんやり観ていて不意に思い出すのである。
 ある意味、教養のかたちではなかろうかという気もする。「ヤンおばさん」のことを覚えていたからといって、何か生活の役に立つわけではない。でもなんとなく、人生に深みが増す気がする。昔読んだ小説の登場人物は、昔どこかで会った人に似ている。足がコンパスみたいだったことしか覚えていないが、ずっと後になって本当に足がコンパスみたいな人に出会った時、「あ、なんかヤンおばさんみたいだな」と思える。いつ読んだかも覚えていないような小説の登場人物(主人公ですらない)とどこの馬の骨かもわからぬYouTuberの動画が不意にリンクして、人生行路にぽつぽつと存在する点同士に新たな線が引かれ、線と線が接して新たなレイヤーが生まれる。一昨年大ブレイクした某邦画の言葉を借りれば「結び」である。『故郷』そのものに(たとえば『論語』や『学問ノスヽメ』のように)何か重大なメッセージや教訓が含まれているかどうかは重要ではない。「ヤンおばさん」に会ったことがある、という経験そのものが人生なのである。

 

魯迅全集 17作品合本版

魯迅全集 17作品合本版