空色徒然草

by いおいお

四の五の言わずに小説を

 日本語表現の専門家を名乗るある方が、自身のTwitterで「ファミレスなんかで「ドリンクバーはよろしいですか?」「結構です」「失礼しました」という会話を目にするが、この「失礼しました」の用法はちとよろしくない、なぜならそれが浸透してゆけば「尋ねたことに対して応えが『否』であった場合、尋ねた側が失礼である」という風潮が広まりかねないからだ」というようなことをおっしゃっていて、この方の立場としてはそういう提言をしたくなるのも充分理解できるのだけれど、個人的には「四の五の言わずに小説を読め、小説を」と言いたくなるのであります。いったい何のために小説があるとお思いですか。会話文の可能性を広げるためでしょうが。「世の中にはこういう人間関係が存在し得、その人間関係の中ではこういう会話文が存在し得る」という可能性を提示し続けるのが小説の役目でしょう(もちろんそれだけとは限らないけれど)。尋ねたことに対して応えが「否」であった場合、「尋ねたこちらが失礼だった、詫びなければ」とそわそわする登場人物Aもいれば、「あら、違うのォ?」と素っ頓狂な声を上げる登場人物Bもいるでしょう。「……そうか」と低い声で呟いたかと思うと、目の前にスッと銃を構える登場人物Cもいるかもしれません。AもBもCも、それぞれの物語の中でそれぞれのライフスタイル、信念、価値観、行動の目的というものを持っており、ある似たような場面での反応の仕方がまるっきり違っても別に不思議なことじゃありません。小説を読み慣れている人にとっては当たり前すぎる現象です。そういう目で現実世界をも見ればいいのに。
 まあつまり、失礼に思おうが思うまいが、それはその人のライフスタイル、信念、価値観、行動の目的から出た自然な行為なんだから察しろよ、という話です。

 

職業としての小説家 (新潮文庫)

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