空色徒然草

by いおいお

イースター?

 たまに誤解されているようだけれど、イエスが墓からよみがえったのは十字架で死んだ三日後・・・ではなく、死んで三日目・・・である。十字架の上で息を引き取ったのが金曜日の午後三時頃、その後ある議員(隠れてイエスを慕っていた)に引き取られて墓に葬られ、土曜日(安息日)を挟んで日曜日の明け方、マグダラのマリヤおよび何人かの女性たちが香料を持って墓を訪れると、そこにイエスの姿はなかった。この間、わずか40時間足らず。ちなみに、安息日が日曜日だと思い込んでいる方もおられるようだけれど、日曜日が休みになったのは実にこのイエス・キリストの復活を祝して礼拝するためであり、もともとの安息日はいまでいう土曜日だった。(天地創造の「第一日」は日曜日というわけである。)もちろんいまでも、土曜日に安息を守っている人々はユダヤ教徒を中心に世界各地に存在する。
 いきなり何の話だと思われるかもしれないが、せっかくイースターなわけだから少しはキリスト教徒っぽいことでも書いておこうかという、ただそれだけの動機で筆を執っている次第である。
 日本でも徐々にイースターの認知度が上がっているみたいで、キリスト教徒としては悪い気はしないのだけれど、どうせたぶん、クリスマスにイエスの誕生を祝う日本人がいないのと同様、ただ何となくお祝い気分を日常生活に付加するだけのイベントにしかならないであろうことは想像に難くない。そういうものは、宗教性だけすっぽり抜いて、何でもかんでもデートとかショッピングとかパーティーの口実にしてしまうおめでたい民族である。(日本人に限った話ではないかもしれないけれど。)
 去年のクリスマスに書いた記事でも言ったかもしれないけれど、キリスト教徒自身もイースターをクリスマスほど時間をかけて盛大に祝うということをしない。まあ、そもそも日曜日に礼拝する習慣はイースターが起源なのだから、言ってみれば毎週がイースターみたいなものなのかもしれないけれど。イースターにしか歌わないイースターソングなんてものもほとんどない。(もしそういう歌があるとすれば、内容はおそらく十字架と復活を歌ったものだろうし、そういう歌なら事実毎週のように歌っている。)十字架と復活はキリスト教信仰の根幹部分ともいえるし、伝道(布教)的観点からすればクリスマスよりむしろ重要ではなかろうかと思わないでもないけれど、だからこそ、キリスト教徒側からすると「年一回の特別なイベント」という気分には繋がりにくいのかもしれない。
 イースターって何のためにあるんだろ(一周回って)?
 まあでもせっかくイースターという日が設定されていることだし、普段「キリスト教会ってどんなところなんだろ」って気になってる方は、こういう機会にちょっと覗いてみるというのもいいのではないでしょうか。なんかイースター限定の催しとかやってるかもしれないし。

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