空色徒然草

by いおいお

曲にタイトル、飼い猫にガンダム

 歌詞の無いインスト曲にどんなタイトルを付けるか、ということが、ミュージシャン達の間でしばしば話題になる。歌詞という明晰なメッセージ性を欠いているからこそ、敢えて何らかの名前をその曲に与えるという行為がゆかしく思われるのである。
 ゆかしいなどと言いつつ、僕の場合大抵、曲のタイトルなんてのは「適当に」付ける。タイトルを付けるタイミングにも、「タイトルを付けてから曲を書く」場合と「曲を書いた(書き始めた)後にタイトルを付ける」場合の2パターンがあるけれど、後者の場合、この「適当さ」はいよいよ加速する。
 この前書いた『Tune #4』などはその最たるものである。何かから数えて「4番目」であるという事実などどこにも無い。「この曲、『Tune #4』という曲名が似合うな」という、単なる第一印象で付けた名前なのである。僕がもし共感覚の持ち主とかだったら、まだ説明がしやすいかもしれない。「4」という数字が持つ「色」のようなものと、曲そのものの「色」のようなものとが似通っていた、など。しかし、そういうものへの憧れこそあれど、自覚的な共感覚者ではない僕にとっては『Tune #4』というタイトルと『Tune #4』という曲そのものに直接的な関連は皆無である。

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 なぜわざわざタイトルを付けるのか、通し番号(Opus)とか日付とかで足りるのではないかという指摘もあるかもしれない。もちろんそれでも良いのだけれど、そうするとはっきり言って管理が面倒だし、何か名前を付けておいたほうが愛着も湧く。たとえて言うなら、飼っている黒猫に「ガンダム」と名前を付けるようなものだ。その猫自体にガンダム的要素は微塵も無いのだけれど、そうしておけばその猫のことを思い出しやすいし、一緒に飼っている三毛猫の「タンホイザー」とも容易に区別することができる。
 タイトルを決めてから曲を書くということももちろんある。むしろ、僕個人としてはこの方法で曲を書くほうが書きやすいし、実際曲数も多い。しかしその中でも、タイトルのイメージに沿って曲想を調節した曲(『前髪』『小雨』『葉桜』など)もあれば、何でもいいから一曲書きたいという衝動を形にするためにとりあえずタイトルを先に決め、タイトルのイメージなどというものは特に考慮せずに衝動の赴くままメロディーを紡いだというもの(『I'll wait for you』『A. N.』『In The Beginning』など)もある。もちろん『I'll wait for you』や『In The Beginning』というタイトルにだって、そう名付けただけの根拠というか根拠となる体験があって、タイトルと曲の内容とはその印象的な出来事と結びついて記憶の箱にしまわれている。タイトルを先に決める場合、そのタイトルは曲の内容を示すというより、その曲が書かれた時期や背景を記憶に留めさせる役割を果たしていることが多いのかもしれない。ごくたまにではあるが、タイトルだけ決めておきながら一音も曲が書かれないということもある(過去の譜面を整理していたら、タイトルと日付しか書いていない五線紙が発掘されたりする)。それでも、そのタイトルから当時自分が何を思っていたのか、どんな体験をしたのかをおぼろげながらも思い出すことが可能なのである。
 他にも、ホルストの『天王星』やラベルの『ハイドンのテーマによるメヌエット』のように、スペリングを音名に直すという発想を借りたものや、タイトルの音節数と主要モチーフの音節数を合わせたもの、『ちょっと気になる』のように音節数だけでなく音程も元の日本語のフレーズに近づけたものもある。しかしこういう作曲の仕方をすると、人前で演奏する時にネタ枠として扱ってしまいがちなので、曲数も演奏回数もそう多くはない。