空色徒然草

by いおいお

僕の最近と本の話

 中身の出来がどうであろうと、新しい刊が出たら買う。そういうフアンが大事なんだって、村上春樹も言ってた(『職業としての小説家』、スイッチ・パブリッシング)。
 九月の締めくくりに、最果タヒの新刊を買う(『天国と、とてつもない暇』、小学館)。前に買った『千年後の百人一首』(リトルモア)もまだ最後まで読めていないけれど、あれはまあ一生かけて読めばいいかなってやつだし、このペースでちびちび読もう。
 夜寝る前に、あとちょっとだけ起きていたいけどスマホばっかり弄るのもアレだしと思って久々に『草枕』(岩波文庫)を取り出して読んでいたのだけれど、 最近覚えた言葉で言えばこの主人公は果てしない「イキリ野郎」なのではないかと気付いた。もっとペダンチックな言葉で言えば「衒学者」とでも言えるだろう か。「彼女はアスナ似w」どころではない。雲雀を聴けばシェレーを暗誦し、茶屋の老婆を見てはあれは宝生のどれそれの舞台に出てくるあの綺麗な婆さんそっ くりだなどと感じ入り、行く先の温泉宿の娘が美人だと聞けばミレーの描いたオフィーリアの顔がふと思い出されたなどと嘯 く。もっと世俗に生きろ世俗に。もっとも、「とかくに人の世は住みにくい」なんて言ってとにかく世俗を離れることを目的として旅行しているのだから、そう いう感じ(シェレー宝生オフィーリア)で全然正解なのだけれど、数年前に読んで「この作者の知識教養の幅スゲーなー」などと無邪気に感心していた頃に比べ れば、僕のほうが随分世俗化してしまったのかもしれない。漱石は変わっちゃいない。僕が変わったのだ。
 まあね、変化しているからこそこんな文も書けるわけで、変化したのが悪いと言っているわけではない。だいたい、ちょっとくらい変化し続けてないと、生きてる気がしない。
 変化といえば(無理矢理話題を変える)、以前とあるクラシック音楽を扱ったテレビ番組でゲストに呼ばれた棋士加藤一二三が「将棋とクラシック音楽は似 ている。棋士(作曲家)は常に最善の一手(一音)を探りながら駒(ペン)を進める。その結果、一手一手(一音一音)進むごとに局面が大きく変化するのだ」 ということを仰っていて、成程良いことを言うなと思った。(上のは僕のフィルターを通して再現した彼の言葉であり、本人が実際どう発言したかは細部までは 覚えていない。たぶんもっと説得力のある言い方だったと思う。)「すべての物事は(構造的に)似ている」というのは僕が高校生の時に思い付いた仮説だが (検証がほとんど不可能だし面倒くさいので仮説のまま放ったらかしにしているけれど)、こういう、ちょっとでも「(似ていなさそうで)似ている」事例を見 つけると、やはりちょっと嬉しくなってしまう。ただの物には興味ありません。何か別の物と似ているものがあれば、私のところへ来なさい。以上。
 あ、将棋といえば、前に読んだ『先を読む頭脳』(新潮社)という羽生善治(の頭脳)を特集した本を再読しているのだけれど、やっぱりこの人は頭が良いの だなーという頭の悪そうな感想に尽きる。音楽の世界でも頭の良い人のほうが楽器の上達や理論の理解は早いなんて言われたりするけれど、将棋の世界でももし かしたらそうなのかもしれない(似ている!)。
 しかしまあ、頭が良いのと頭の良さでマウントを取るのとは全然違うことでして、うっかり下手なことを書くと自分が攻撃されていると勘違いした人が全く予 期しない反撃をしてくるなんてことがままある昨今のネット社会、あまり頭の良さそうなふりをしても良いことはないなーなんて思えてきたりもしますが、そう いう時は百年前のイキリ野郎の戯れ言にでも耳を傾けながら、キャラメル(メロン味)でも食べて心癒されましょう。
 詩もおすすめです。

 

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)